実家の法事に参加できなかった、遠い親戚の由子おばあちゃんから、手紙が送られてきました。
その中に、コチサへの手紙も入っていたというので、お母さんが送ってくれました。
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由子おばあちゃんは、もう90歳を超えました。
子供の頃、年に数回はコチサの家にやってきて、遊んでくれた思い出があります。
甲高い声で笑う、元気の塊みたいなおばあちゃんでした。
子供の頃から「おばあちゃん」と呼んでいたのですが、今思えば、その頃はまだまだ60代・・・
「おばちゃん」と呼ぶべき年代だったようです。
積み木を使って、まだ幼稚園児のコチサに、文字を教えてくれたのもこのおばあちゃんでした。
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由子おばあちゃん
「はい、よく読めたわね、じゃぁ今度は書いてみましょうか」
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そう言って、半紙に毛筆でお手本を見せてくれました。
コチサはこの時は、文字を書くよりも、墨と筆を使う方が面白く、手や顔や洋服を真っ黒にして喜んでいたのを覚えています。
由子おばあちゃんは、習字が好きで、いつも硯と筆を持ち歩くような人でした。
由子おばあちゃんからの年賀状は、達筆で、誰が見ても惚れ惚れとするような美しいものでした。
そんな思い出から、随分時間が経ってしまいました。
お母さんから転送されてきた、由子おばちゃんの手紙は・・・
鉛筆書きでした・・・
紙は新聞の折り込み広告の裏面です・・・
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「
サチコちゃん、おげんきですか?
もう、あわなくなってから、ずいぶんたちますね。
おばあちゃんは、もうずいぶん年をとってしまいました。
おばあちゃんは、足がいたくて、あるくことは
できません。
でも、サチコちゃんのかつやくは、お母さんから
きいています。
おばあちゃんも、かげながら、おうえんしています。
がんばってください。
」
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コチサは、これを読むのに、何時間もかかりました。
由子おばあちゃんの文字は、コチサが知ってるかつての由子おばあちゃんの文字ではありませんでした。
コチサはもう何十年も会っていないので、今の由子おばあちゃんの顔は想像するばかりです。
きっと、他の田舎のおばあちゃん同様、深い皺が数えられないくらい刻まれて、まるで皺の中に顔が隠れてしまったようになっているんだろうな・・・
由子おばあちゃんの素顔を見つけるには、その刻まれた皺を丁寧に時間をかけて、一本一本ゆっくりと開いていかないと見る事はできないんだと思います。
由子おばあちゃんの文字もそんな感じでした。
顔に刻まれた皺同様、文字もくしゃくしゃと一字一字に深い皺が刻まれていました。
その皺を、一本一本丁寧に開いていかないと、文字が読めません。
何度も挫折しかけたけど、コチサは時間をかけ、丁寧に読み進めて、ようやく読解に成功したのです。
そこには、その努力のご褒美というには大きすぎる、優しい愛情に包まれた言葉があったのです。
シンプルな文章の中、行間のすき間に、広く深い愛情に満ち満ちた表情が垣間見えます。
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コチサ
「もしもし、由子おばあちゃんですか?本家の益田の長女、サチコです」
由子おばあちゃん
「あぁサチコちゃんか」
コチサ
「おばあちゃん、素敵なお手紙、ありがとうございました」
由子おばあちゃん
「下手くそな字でごめんな。おばあちゃん、だんだん字が書けへんようになってきてな」
コチサ
「ううん、昔教えてくれたように、とっても素敵な字でした」
由子おばあちゃん
「そういえば、サチコちゃんに、積み木で文字を教えた事があったな」
コチサ
「覚えてますよ。あの時のおばあちゃんの習字の字を見て、コチサはキレイな字を書こうって思ったんですから」
由子おばあちゃん
「今では、ほんまに汚い字になってしもうてな・・・」
コチサ
「そんなこと無いです。コチサは今また思ったんですよ、こういう字を書けるような人間になって生きて行こうって」
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由子おばあちゃんの声は、昔の甲高さはなくなったけど、懐かしい聞き覚えのあるしっかりした声でした。
コチサが、おばあちゃんの文字を一字一字解析しているときに感じた心の落ち着きは、何だったんだろう?
それは、お坊さんのお経を聞くときにも似た、不思議な引き込まれる安心感でした。
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由子おばあちゃん
「サチコちゃんは、毎日ちゃんと朝ごはんを食べてるか?」
コチサ
「うん、もちろんです。実家のお米をお腹いっぱい食べてから、仕事に出ています」
由子おばあちゃん
「そうかい、それは良かった。しっかり頑張るんやで」
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由子おばあちゃんの顔に刻まれた皺も、その一本一本を丁寧に見通した時、そこに由子おばあちゃんの人生が見えてくるのだと思います。
コチサが由子おばあちゃんの文字を解析しているときに感じた気持ち以上の、大きな「何か」が見えてくるのだと思います。
でも、コチサにはまだそれは早い気がしました。
文字だけで、90余年を生きている人生の大先輩の迫力に畏怖しているコチサです。
由子おばあちゃんの人生を目の当たりにしたら、その大きさに押しつぶされてしまうことでしょう。
お礼の電話の後、コチサはお礼の手紙も書きました。
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「
由子おばあちゃんへ
この度は、お手紙をありがとうございました。
何度も何度も、由子おばあちゃんの手紙を読み返し、
頑張る力をたくさんたくさんいただく事ができました。
おばあちゃんは、足の具合が悪いそうですね。
温かくして、体をいたわって下さい。
今度、絶対に会いにいきます。
お元気でお過ごし下さい
」
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あぁ、子どものような、しまりのない文字に、なんと軽薄な行間の無い文章・・・
でも、それが今のコチサの正直な全てです。
なんか、わが恥を晒すような恥ずかしさと清々しさが同居した不思議な気持ちで、封筒を投函しました。
ポストの中で、封筒が角から落ちたのでしょう。
「コツン!」
そんな音が聞こえました。
封筒同様、コチサの心のどこかも、角が取れ、少しだけ丸い気分になった、春を待つ一日の出来事でした。
