コチサは、あの「苦い初恋事件」で心に深い傷を負ったが持ち前の明るさと負けん気でふたたび元気を取り戻した。
例の阿部君は隣町の私立高校へ入学し、県立高校へ進んだコチサはもうアイツの顔を見ることもなくセイセイとした日々を送っていた。
だから毎日「資生堂モーニングフレッシュ」で朝シャンをしてさわやかコチサは10歳下の妹を小学校まで送りながら通学している。 高校で放送部に入ったのは、いつか自分も昼休みにDJをやりたいと思ったから。チャイム係などの下働きをして1年生時代が終わり、いよいよDJがやれる2年生の1学期に、なんと、ライバルアッコちゃんが途中入部してきた。それも、新しい番組の企画書とともにDJとして・・・。
(途中から入ってきて、下積みもしてないのにいきなりDJなんて、そりゃないよ!いくら生徒会の実力者だからって、あんまりだわ)
というコチサの考えはごもっともだが、当時アッコちゃんは女帝と呼ばれており誰も逆らうものなどいなかったのである。
というわけで、コチサ対アッコちゃんのDJ対決の幕は、とっとと切って落とされた。
さて、アッコちゃんの考えた企画とは「恋愛講座」。全校生徒から匿名にて恋の悩みを募集し、それに対して彼女が答えるといった内容である。
恋愛の橋渡し役も兼ねていたためアッコちゃん受け持ちの金曜日には全校生徒が放送に耳を傾け、静かに昼休みが過ぎて行く。
それで、誰が名付けたのかサイレントフライデーといわれた。
一方コチサはというと、木曜日の「ため池アワー」担当を先輩から押しつけられ、
「世の中不公平だ!」
と怒りながらも郷土の話題を取り上げる退屈な放送を行っていた。
ところがある日、そんなコチサに1通の手紙が舞い込んだのである。
聞いてる人などいないと思っていた自分の放送にも、ファンがいたのがうれしかった。
「・・コチサさんの放送でぜひ取り上げて欲しいことがあります。それは環境破壊の問題です。おさまったかに見えたゴルフ場開発が瀬戸大橋の開通を控えて再びこの町で行われようとしています。ぼくの父は反対していますが、町中がレジャー開発に町おこしの期待をかけているようで、孤立無縁の状態です。ゴルフ場ができると農薬汚染や環境破壊で、ぼくの好きなこの町から自然がなくなってしまいます。自然を助けてください・・。」
「くそー!阿部んちだなあ。うちのおとうさんが反対したんで場所替えやがったか。今度こそ、たたっ切ってやる!」
手紙を読んでコチサは義憤と私憤に駆られ取材を開始した。
すでに地権者の大多数が大規模な接待攻勢・贈り物攻撃を受けていた。
発売されたばかりの自動パン焼き器が各地権者の家に届けられ、お酒などの貢ぎ物が山のようになっているではないか。
・・大変なことになる。純粋な農家の人をお金で釣ってそのうえ自然まで台無しにしちゃうなんて、許せない!
もう一度自分たちのまわりの自然を見直すキャンペーンを張ろう!
というわけで翌日からコチサの「ため池アワー」はリニューアル。
環境問題を全面に押し立て、”ふるさとについて考え直そう”をテーマに放送した。毎回必ず、昔をよく知るおばあちゃんとのインタビューを行い、野や山で遊んだなつかしい話を挿入した。そして「うさぎおいしかのやま〜」の歌をエンディングに使った。
放送中、なぜか感極まって泣き声になってしまうこともしばしばであった。 おかげで、「なんだか、泣くDJがいる」ってことで有名になりおもしろ半分でコチサの放送を聞く生徒が増えてきた。
コチサが泣くと、待ってましたとばかりに全校で拍手がまきおこる。
だが、コチサはそれが感動の拍手ではないことが、くやしかった。
アッコちゃんの冷たい視線も気にかかる。
メッセージが伝わらないことで、投げ出しそうになったとき、あの匿名さんから再び手紙が届いた。
「いつかみんなきっとわかってくれる。僕はずーっと応援してる。負けるな!」そう書いてあった。
「そうだ、継続こそ力なりって誰か偉いひとが言ってた。がんばろう!」
笑いものになってるコチサがかわいそうだと、放送打ち切りをほのめかす顧問の先生に「あと3回やらせてください」と頼み込み、その3回目、いつもの放送をしてから「ため池アワー」の終了を告げたあとのことだ。
「どうしてやめるんだ、ひきょうもの!」
「自然を守るんじゃなかったのか!」
の声がする。
ふと、校庭を見ると・・・
数十人の生徒が放送室のコチサを見上げ「コチサ、コチサ」の大合唱をしている。
まじめに受けとめていてくれた人たちのコチサ・コールだった。それを見てコチサは胸がいっぱいになった・・・。
それからのことは当時の顧問の先生に聞いてみよう。
「驚きましたよ、正直、あんなに反響があったなんて。よく、若い者はどうのこうのといいますが、人間のおおもとの心は今も昔も変わらないんだ、ということを彼女に教えられました。ため池アワーはその後有線でこの地区全戸に同時放送されましたがその反響がまたすごくて、今度は地元のラジオ局が取材に来たんですよ。その時は私もインタビューされるってんで背広を新調しちゃいました。ラジオで放送されてから1週間も経たないうちだったかなあ。地権者からいままでもらった品物が続々とゴルフ会社の玄関に返されましたっけ。中には外車や水着姿の娘さんまでいたという噂ですが、誰が乗っていたのか」(コチサ註:ここ最高!)
結局ゴルフ場の計画は頓挫した。阿部一族はほうほうの体で大阪に逃げ帰りコチサのふるさとは自然破壊から免れたのだった。
サイレントフライデーのマドンナ、アッコちゃんは、
「コチサ、負けたよ今回は。あんたはよくやった」
と、手を差し出し、そして二人は握手をしたのであるが、アッコちゃんがコチサに対して、以前よりも強烈なライバル心を抱いたことは想像に難くない。
さて、コチサはその後ずーっと匿名の手紙の主を探していた。
勇気を与えてくれたあの人に会いたかったが、彼は名乗り出ることなく手紙も二度と届くことはなかったからである。
華々しい地元デビューを果たしたコチサはその後少し勉強して現役で地元の大学に入学。
しかし、あの事件であまりにも有名になりすぎた彼女は、どこへ行っても注目の的となり、かえって息苦しい毎日だった。
コチサ地蔵の設置話・名誉町民・おとうさんが町会議員に担ぎ出されそうになる、などコチサのまわりはお祭り騒ぎで、本人の意思などお構いなしだ。
「なにかちがう。私のやりたいこととはちがーう・・・」
コチサの田舎では、女の子は大学を出たら先生か銀行員になって数年後結婚というパターンが一般的だ。
「このママいったら・・・ママになる。そんなのいやだ!」
テレビでは美里美寿々さんや井田由美さん、小宮悦子さんらが活躍している。
「東京か・・・東京で私の声を生かした仕事したいな・・・」
テレビでしか知らない東京である。砂漠のような東京である。
コチサも不安である。
神父さんに相談すると
「自分を愛するように人を愛するのですよ、アーメン」
と、元気づけてくれた。
東京行きについては、そりゃあもう家族中が猛反対であった。
女一人が大学中退してまで行く必要があるのかと・・・。
が、親族会議の席上、強引に顔を出した小学校時代の恩師山田先生は、「この子の才能をこんな田舎に埋もれさせてはいけません。このままではかえってかわいそうです。やがて世界がこの子を必要とする時がきっと来ます。お願い、益田さん、この子を東京へ行かせてやって・・・ゴホン、ゴホン、ウーー、グエッ」
山田先生の、まさしく捨て身の説得によりコチサはようやくおとうさんの許可を得たのだった。
そして、その年の4月、桜の花の咲く頃。
コチサが故郷を離れ東京へと旅立つときは町中の人間が集まったような賑わいだった。
「がんばれーコチサ。がんばるんだぞ!」
ワイワイガヤガヤのコチサ見送りの団体。そして、よく見ると、その少し外側には肩を組んだ父と子がいた。
コチサの胸に突然、雷鳴がとどろいた。
・・・そうかあの人だったのか。あの人が私を励ましてくれていたんだ!
がっちりとした体つきでよく陽に焼け、健康そうな父と子だった。
「ありがとう、匿名さん。ほんとにありがとう。あなたが私に勇気を教えてくれたのね」
その父子はコチサになにかを言っていたが周りの人の声で全然聞き取れない。
でも、コチサにはわかった。あのひとがなんて言ってるか・・
「東京へ行っても負けるなよ!」
そうだ!継続こそ力だ。なにがあっても負けないぞ!
パワー全開のコチサは、いま、東京へ向けて旅立った。日本はこのころから景気がどんどん悪くなって行くが若く、野望に満ちたコチサには全然関係なかった・・。
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