今年も、母の日が過ぎていきました。
身近には、母の日が四十九日の法要と重なった人もいます。
その人は、母の日の数日前、お母さまが生きていた頃と変わらずに、赤いカーネーションを購入し、笑顔で家に帰って行きました。
そんな事もあり、今年の母の日を、コチサは少し複雑な気持ちで迎えました。
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ここ数年は、コチサはお気に入りの花屋さんと出合ったことで、いつも「お任せ」でお花を贈っています。
その花屋さんのデザイナーの女性がセンスがいいので、
「母の日、五千円くらいで、お願いします」
と言うと、後日、メールで写真が送られてきます。
コチサ
「おぉ今年もおしゃれな花が贈られたぞい^-^;、お母さんにこのセンスがわかるかな?」
そう思っていると、お母さんから電話が入ります。
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お母さん
「お花が贈られてきたで(^o^)、なんか枝がハート型になって、そこにカーネーションがキレイに咲いておったで。東京には珍しい咲き方するカーネーションがあるんやな」
コチサ
「お母さん、それはコチサがそういう風にデザインを頼んでアレンジしてもらったんだよ^-^;」
お母さん
「そうかぁ・・・まぁどうでもええわ、ありがとうな^-^;」
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こんなもんです^-^;
まぁお母さんには、母の日にお花が贈られてきたことが嬉しいことで、お花の内容や金額は二の次なんでしょう^-^;
(反対に、お花の内容や金額にこだわられた日にゃ、コチサはたまったもんじゃありません^-^;)
で、今年もそのパーターンをと思って、母の日の一週間前に、いつもの花屋さんに足を伸ばしたのですが・・・
無い!
お店が無い!
跡形も無い!
潰れちゃったようです(>_<)
確かに、繁盛しているお店ではなかった・・・(>_<)
お花のセンスやアレンジの技術は高かったけど、あまり愛想が得意なタイプでもなかった・・・(>_<)
応援していると言っているコチサだって、年に一回、母の日の注文しかしていなかった・・・(>_<)
考えてみると、潰れちゃう要素はいくつかあったわけで・・・でも、やっぱりちょっと残念。
本当に、毎年、素敵なアレンジを作ってくれていたのに・・・(>_<)
仕方ないので、その足で駅前の花屋さんに向かい、そこで注文しました。
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コチサ
「赤いカーネーションを、香川まで贈って下さい」
花屋さん
「はい、ありがとうございます。メッセージをお書きしますか?」
コチサ
「はい」
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お母さん、ありがとう。
産んでくれて、ありがとう。
育ててくれて、ありがとう。
このメッセージは、冒頭の人が、今でも口ずさんでいる言葉です。
お母さまの療養中に、100万回言った言葉だそうです。
でも、それでも、足りなかった・・・
あと、100万回言ったとしても足りないだろう・・・
だから、ことあるごとに、言い続けたほうがいい・・・
そう言っていました。
コチサは、お母さんが大好きですが、面と向かってこの三行のメッセージを言った事がありません・・・恥ずかしいし・・・
でも、それはなんか大切な言葉なんだとわかったので、今回は堂々とこのメッセージをしたためる事が出来ました。
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お母さんから電話がかかってきました。
お母さん
「お花、届いたで、ありがとう」
コチサ
「うん(^o^)
お母さん、ありがとう。
産んでくれて、ありがとう。
育ててくれて、ありがとう」
お母さん
「どういたしまして(^o^)」
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母の日が、ちょうど四十九日の法要と重なった人の話を、お母さんも知っています。
コチサが、胸を張ってその言葉を発したように、お母さんも、胸を張ってその言葉を受け止めてくれました。
人は、身近で大きな変化に遭遇しないと、なかなか真実に向き合う目が開きません。
お母さんとコチサの目は開いたけど、その陰では、真っ赤なカーネーションを見る事無く目を閉じた人もいる・・・