No.524 「ヤマビコチサ」 2005.7.11
 コチサの故郷

 子供の頃、四方八方を山に囲まれて育ったコチサは、「山猿コチサ」と呼ばれていましたが、実はもう一つ知る人ぞ知る別名があります。

 それは・・・「ヤマビコチサ」^-^;

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 一人ぼっちで寂しかった時、山に語りかけると、その声が返ってくることを知りました。

 近くの山だと、返事はすぐに返ってきます。

 遠くの山だと、返事は少し送れます。

 小さい声だと、山には届かないようです。

 でもいくら大きな声でも、声が割れて拡散しちゃうと、返ってきた声は声ではなく、ただの音になって意味が通じません。

 しっかりと焦点の絞られたレーザービームのような発声をすれば、どんなに遠くの山からでもちゃんと返事を返してくれます。

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 ある日コチサは気がつきました。

 コチサ
 「あの近くの山だと、ヤマビコは3秒遅れで返ってくる。あっちの遠くの山だと6秒・・・じゃぁもっともっと遠くの山だったら・・・1年、いや5年くらいのヤマビコになるはず・・・」

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 ひまわりの花

 そしてコチサの訓練は、はじまりました。

 5年とか10年とかのヤマビコを目指すなら、目で見える山々では無理です。

 相手は「宇宙」になります。

 レーザービームの先は、宇宙に瞬く無数の星たちです。

 そしてもう一つ大切な事は、聞く耳を持つことです。

 心に静寂を育て、神経を研ぎ澄まし、内なる聴覚を極める必要があることがわかりました。

 悟りを極めたコチサは、今では数十年〜数百年前のヤマビコを聴き取ることが出来ます。

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 実はこの世界はたくさんの「ヤマビコ」に埋もれた世界です。

 いざ、「聴く耳」を持ってしまうと、日常のどんな騒音よりも「ヤマビコ」の声たちの方がうるさいことがわかります。

 そりゃぁそうです。

 日常の騒音は、今この瞬間の音の集まりです。

 でもヤマビコは、今この瞬間に、過去の何十年何百年という「声」たちが一同に集まってきているのですから・・・

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 紫の花

 コチサは、悲嘆や苦しみから生まれる慟哭の方が、レーザービームになりやすい声だということも知りました。

 笑い声や幸せの歓声は、口をついたあと拡散して宇宙に散らばってしまうので、ヤマビコにはなりにくいのでしょう。

 苦しみや嘆きの声は、強く鋭く口から発せられるので、いつまでも直線的に進みます。

 そしてその声が、宇宙の星のひとつをヤマビコとして捉え、また地球に返してくるのです。

 だから、ヤマビコを聴き取る悟りを開いた頃は、この人々の慟哭にやられてしまいます。

 せっかく聴き取れた声が、どれも憎しみや悲しみ、苦しみや嗚咽だったら、誰だってイヤになってしまいます。

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 でもだからといって修行をやめてはいけません。

 心を一層穏かに落ち着けて、どんなヤマビコでも空気のように吸い込みます。

 体の細胞一つ一つをフィルターとして、この辛い苦しみに満ちた声をろ過すると、本当の声が聴こえててきます。

 それは、絶望や苦しみの声の中に隠された、希望や夢・ビジョンの声の数々・・・

 本当に絶望し、人生を見限った人間は声など発しません。

 体の中の苦しみや憎しみを、声にして発散することで、もうひとたびの立ち直りを願っているからこそ、口をつくレーザービームです。

 だから、本当にヤマビコが聴き取れるようになると、そこには人間の生きるための必死の姿、清く美しい夢や願望・・・真の人間の美しい思いを聴く事ができるようになるのです。

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 またきっとここに戻ってくるからねー

 「おーい・・・さよーならぁー・・・またきっとここに戻ってくるからねー」

 15年ほど前、大学に退学届けを出し、親に逆らって東京に出る事を決心したコチサの声が聴こえてきました。

 寂しく悲しげで、辛そうな声です。

 でもこの声を、しっかり心で受け止め、フィルターで濾して聴いてみると、夢と希望そして決意に溢れた真の姿が見えてきます。

 何かに固執して離さないでいると、次の何かを掴む手はありません。

 何かを手放す事は、新しい何かを掴む手を手に入れたということです。

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 ひーおばぁーちゃーん・・・

 「ひーおばぁーちゃーん、ひーおばぁーちゃーん!!!!」

 もっと昔の、コチサが5才の頃の声も届いてきました。

 曾おばあちゃんが亡くなった時の、泣き喚くコチサの声です。

 子供心に、何か大きなものを失った悲しみが宿っています。

 たくさんの愛をくれた曾おばあちゃんがいなくなってしまったのです、とても悲しかったはずです。

 コチサの胸の中にあった「曾おばあちゃんの愛」を入れる引き出しが、まるまる空になってしまったのですから・・・

 でもその引き出しは、いつまでも空だったわけではありません。

 いつの間にか、知らないうちに、その引き出しは新しい愛で埋まっていました・・・

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 ヤマビコに耳を澄ませてみましょう〜

 ヤマビコを聴き取る事が出来るようになると、悲しみは決して悲しみで終わらないことを学びます。

 レーザービームとして吐き出した悲しみや苦しみが宇宙の星たちにぶつかって、再び自分のもとに返って来た時、はじめて失ったスペースは、すでに新しい夢と希望で埋まっていることに気がつきます。

 ヤマビコに耳を澄ませてみましょう。

 きっときっと、人生そんなに嫌な事ばっかりじゃないことに気がつきます。

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