No.437 「だからコチサは北国へ」 2004.8.20
 イスとグリーン

 歌手の朱里エイコさんがお亡くなりになりました。

 コチサは朱里エイコさんの、《北国行きで》という歌がとても好きでした。

 子供の頃、家にあったこのレコードを聴いて

 「♪
  次のぉー北国行きがぁ〜来たら乗るのぉ〜
  スーツケースをひとつぅ〜下げてぇ乗るのぉ〜
  アー(以下サビの熱唱へ^-^;)」

 ・・・と、近所迷惑な大声を張り上げていたものでした。

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 コチサ
 「お父さん、北国ってどこにあるんかな?日本にあるんかな?外国にあるんかな?」

 お父さん
 「北国言うたら東北やろ」

 コチサ
 「ふーん、素敵なところなんやろな、北国って」

 お父さん
 「なんでや?お前行きたいんか?」

 コチサ
 「朱里エイコさんとか、チェリッシュのエッちゃんとか、みんなが北国、北国言うて歌ってるやろ、カッコええなぁと思うてな」

 お父さん
 「そんなに言うなら、我が四国だって負けてへんぞ。ペギー葉山さんが《南国土佐を後にして》って歌ってるで」

 コチサ
 「それ昔の歌やん?今の時代は北国やで」

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 北国・・・
 それはコチサの時代、恋に破れた乙女のたどり着く場所・・・

 (お父さんの時代は京都大原三千院だったけど^-^;)

 北国・・・
 そこは、心を癒す不思議な静けさと香りを持った異国情緒溢れる街・・・

 (お父さんの時代は地の果てアルジェリアだったけど^-^;)

 北国・・・
 それは平凡な日常の中で、やがて訪れる未来をワクワクさせる魔法の言葉・・・

 (お父さんの時代はヴァケーションだったけど^-^;)

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 お父さん
 「小学生のお前が、いちいちお父さんの時代と比較なんかせんでええ」

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 ※ちなみに、

 「京都大原三千院」は、デュークエイセスさんの「女ひとり」、
 「ここは地の果てアルジェリア」は、緑川アコさんの《カスバの女》、
 「ヴァケーション」はコニー・フランシスさん同名の歌より引用させていただきましたm(_ _)m

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 さてどうして当時のヒット曲の多くに「北国」という言葉が使われていて、今はすっかり聞かれなくなってしまったのかはよくわかりませんが、四国の山猿小僧のコチサにとって、この「北国」という響きが、オーロラの輝く幻の国のようなイメージを持って沁み込んでいったのは事実です。

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 コチサ
 「コチサはなぁ、大人になったら北国に行くでぇ」

 妹・園子
 「わたしも行きたい!」

 弟・浩二
 「ボクも!」

 コチサ
 「ダメや。北国はなぁ、行くにはいろいろ条件があるんやで」

 園子
 「じょうけん?」

 コチサ
 「そや。先ずはな、恋をせなあかんで」

 園子
 「恋?」

 浩二
 「ボク、するでぇ(^o^)」

 コチサ
 「そしてな、その恋に破れなあかんのや」

 浩二
 「ボク、破れるでぇ(^o^)」

 コチサ
 「北国に行くんはな、ほんまに難しいことなんやで」

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 北国というのは、日本の東北地方以北を指した一般的呼称で、だれでも電車賃さえあれば行きたいときに行って、帰りたい時に帰って来られるということを知ったのは、随分後になってからのことでした。

 でも、子供の頃に植えつけられたイメージというのは、そうそう変えることが出来るものではなく、「北国」はコチサのなかでいつまでも、アンタッチャブルな聖域として輝いていました。

 しかし・・・

 時代は流れ、流行歌に「北国」という言葉が使われることも無くなり、朱里エイコさんもチェリッシュさんも、その姿を見かけることがめっきり少なくなっていきました。

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 20年ぶりくらいに、朱里エイコさんを見たのはほんの1年くらい前のことでした。

 思えばその時すでに体調は最悪な状態だったのでしょう・・・

 1億円の保険をかけたといわれた脚線美の朱里エイコさんは、時代が「北国」という言葉を消し去ってしまった時、すでにかつての面影を失なわざるを得なかったのかもしれません・・・

 そしてその間、現実社会という中で日々の日常を目の辺りに見て生活を重ねてきたコチサからも、いつのまにか「北国」の語感の響きを鮮烈に感じ取るあの感性が失われてしまっていた事に気が付きました。

 年を取って枯れていくというのは、こういうことなのかと思いました。

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 子供の頃、新鮮なみずみずしいイメージをどんどん吸い取って膨れ上がった感性が、現実の生活の中で気づかぬうちにその水分を放出していく・・・

 事実に直面するたびに感動を手放しながら、自分を現実に合わせて修正していく・・・

 朱里エイコさんを追悼したラジオ番組で、久々に「北国行きで」をフルコーラス聞きました。

 それはコチサが子供の頃口ずさんでいて、今でも覚えていた歌詞とところどころ食い違っていました。

 多分、子供の頃はその正しい歌詞のように歌っていたのだろうと思います。

 今、覚えていた歌詞がいつのまにか歪められていった間違った記憶なのだと思いました。

 ニュースでは朱里エイコさんの亡がらは、引き取り手がいなかったとも報道されていました。

 コチサはこれからもこの歌を覚えていくと思いますが、また10年後には記憶が歪められて歌詞が少し変わってしまっている気がしました。

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 ♪
 次の北国行きが 来たら乗るの
 スーツケースを一つ 下げて乗るの

 アー
 何もあなたは知らないの この町と別れるの
 明日あなたにお別れの 手紙が届くわきっと
 いつも 別れましょうと言ったけれど
 そうよ 今度だけはほんとのことなの

 次の北国行きで 消えてゆくの
 二人愛した町を 去って行くの
 アー
 愛に疲れた二人なら このままで身を引くの
 憎み合わないその前に 私は消えてゆくの
 いつも 別れましょうと言ったけれど
 そうよ 今度だけはほんとのことなの

 アー
 電話かけてもベルだけが 空き部屋に響くだけ
 明日私のいないこと その時に気付くでしょう
 いつも 別れましょうと言ったけれど
 そうよ 今度だけはほんとのことなの

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