事務所周辺の道路は、とみに外国人の方々が多くなってきました。 (これは別にワールドカップとは関係ないのですが) だから最近は、歩いていて耳に入ってくる言葉が、日本語ではなくても違和感がなくなりました。 コチサも、知らず知らずに中国語と韓国語の区別もつくようになる上達振りです。 そんな中で思ったのですが、やはり大陸的というのでしょうか、韓国の方々も中国の方々もわりと感情表現が派手なような気がします。 よく歩きながら大声で母国語で喧嘩している光景に出会います。 今回も… 道を歩いていると、後ろから女性の悲鳴のような大声が聞こえて来ました。 振り返ると… 韓国の女性 「○×!/*!!!!」 韓国の男性 「?><×○!!!」 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: やはり喧嘩をしているようです。 その大声に立ち止まるコチサたち通行人を尻目に、二人は激しく言葉をぶつけ合い、歩を緩める事無く歩いていきます。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 韓国の女性 「○×!/*!!!!」 韓国の男性 「?><×○!!!」 ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 女性は目に涙を浮かべています。 男性は怒りのせいか顔が真っ赤です。 しかし二人は手をつないでいます。 言葉がぶつかり合い、体を振るわせあい、その距離は近づいたり離れたりしますが、その手を決して離そうとはしません。 コチサを抜いた二人ですが、また信号で追いついてしまいました。 相変わらず、激しく喧嘩をしていますが、やはり決して手は離しません。 繋いだままです。 どんなに喧嘩をしても、この繋いだ手の距離以上は離れないと決めているようです。 また例によってコチサの想像力が膨らみました。 この二人はこれが自分たちの国だったら、手を離してお互い言いたいことを言い合って別々な方角へ歩き出してしまうんじゃないかな… たとえ後で仲直りするとしてもね。 でもここは外国。 どんな理由があってこの国に来たのかは知らないけど、恋をしたり遊んだりする事と、毎日を必死で生きるという現実が背中合わせの異邦人であることは間違いありません。 「恋をしたり遊んだり」という中に、喧嘩をしたりという事もあります。 だから二人は異国でも喧嘩をしたのです。 そして「必死で毎日を生きる」という中に、繋いだ手を離さないという事があるような気がしました。 観光ではなくて住む為にこの国にやってくるのは、コチサが四国の田舎から出てくるのとは全く違う大変さと覚悟が必要だったと思います。 強い勇気と負けない心が一歩も二歩も秀でた人なのでしょう… でもそんな強い人たちでさえも、この国で一人で生きていくのは大変なんだ… コチサには決して離さない繋いだ手が、そんな事を言っているような気がしました。 もしかしたら、韓国の方々も中国の方々も日本人より感情表現が派手というのは間違いなのかも知れません。 日本人だって感情表現が派手な人はいます。 そして全ての韓国の方、中国の方が感情表現が派手なわけではないと思います。 「異国に行って生活をしよう!」 そう決めて実行に移す人は圧倒的に少ない人たちだと思います。 そして私たちがこの国で出会う韓国や中国の方々は、その圧倒的に少ない方の人たちです。 そういえば、外国での日本人評って、コチサたちが聞くと「えー」っと思うものが少なくありません。 それもやっぱり同じ理由のような気がします。 「留学をして外国で生活をしよう!」と誓いを立てて実行に移す人たちは、やっぱり日本人全体から見れば少ない数のカテゴリーに入る人たちです。 そしてそれはどちらもある意味「強い人」たちです。 決して「強い人たち」=「感情表現が派手」という事ではないのですが… 目の前の二人の喧嘩のテンションは徐々に収まってきたようです。 あれほど硬く握られていた手と手が離れました。 そして今度は男性の手がやさしく女性の肩に、包み込むように置かれました。 |
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