No.102 2001.6.13
前号(101号)の続き・・・
コチサ
「おじいちゃん、あのイヌを連れたおばあちゃんの弟さんだったんだぁ」
「牛の心臓」が入っている事が自慢だったおばあちゃんのお話は、コチサニュース20号でお伝えした通りです。
おばあちゃんは息子さん夫婦にハワイに連れて行ってもらったのを置き土産のように、突然天国に旅立ったのでした。
毎朝イヌを連れて散歩していて、同じく散歩のコチサと少しだけ声を掛け合う・・・
そんな関係が3年くらい続いたおばあちゃんでした。
おじいちゃん
「息子夫婦は新しい家に出て行ったしな、わしが姉さんの家を守ることになったんだ」
コチサ
「複雑な、遺産相続の紆余曲折があったのでしょうか?」
おじいちゃん
「そんなのあるわけないだろ、テレビじゃないんだから」
コチサ
「でも、寂しいですね。おばあちゃんのいなくなったお家を守るのは・・・」
おじいちゃん
「やくざな暮らしをしてきてな、この年になって・・・行く当てもないわしを、それでも姉さんは拾ってくれた」
コチサ
「そんなぁ、拾ってくれたなんて、犬猫じゃあるまいし・・・あっ、犬猫で思い出しましたが、おばあちゃんが散歩していた犬はどうしました?」
おじいちゃん
「あんたは、人を慰めているんだか、刺激してるんだか、わからない人だな」
コチサ
「恐縮です。で、犬は?」
おじいちゃん
「いるよ。朝の散歩は連れてこないけど、夕方の散歩は連れているよ」
コチサ
「おじいちゃん。おじいちゃんはどうして毎朝、あんなに勢いつけて自転車で走りまわるの?危ないよ」
おじいちゃん
「気持ち良いんだよ。すーとするんだ。夜、寝てる間に貯まったやりきれない思いが、それで抜けていくんだよ・・・そんな思い、溜めてちゃいけないだろ」
コチサ
「・・・」
「夜、寝ている間に溜まるやりきれない思い」ってどんなんだろう?
コチサもそういう気持ちになる時がくるのかも知れないけど、でもそれは今のおじいちゃんの「やりきれない思い」とはきっと違う。
誰の「やりきれない思い」とも、おじいちゃんの「やりきれない思い」は違うんだろう。
人それぞれだからね。
誰の「やりきれない思い」が一番で、誰の「やりきれない思い」が二番なんてことは無いんだ。
だから、千の「やりきれない思い」があれば、千の「やりきれない思い」の発散法があっても良い気がします。
でも・・・
まるで、過ぎ行く時間に追いかけるように、必死で疾走して追いかけるものって何なんだろう?
過ぎ去ってしまったもの、決して取り戻すことの出来ないものを追いかけるのは、少しだけ辛い事のような気がしました。
コチサ
「おばあちゃんを追いかけているんじゃないよね」
おじいちゃん
「追いかけなくたって、寂しがり屋の姉さんだから、向こうから迎えにくるだろ」
コチサ
「そんなぁ・・・そんなこと無いよ。天国に行った人はね、絶対に地上の人を迎えに来たりはしないんだよ」
おじいちゃん
「何でだ?」
コチサ
「えっ?・・・ただなんとなく・・・今、そう決めたんだ。とにかくね、自転車に乗って散歩するのは健康に良いからお奨めだけど、必要以上にスピードを出しちゃ危ないよ」
おじいちゃん
「そうだな。自分で思うほど、周りは若く思ってくれないんだな」
コチサ
「そんなことは無いけど、若い人だってスピードの出しすぎは良くないし・・・」
おじいちゃん
「この自転車な」
コチサ
「えっ?」
おじいちゃん
「この自転車な。古いだろ。鉄の塊みたいだろ。姉さんがな、ある時な、わしがいろいろ苦しかった時にな・・・うだうだ考えてないで、これでパーッと走って全てを忘れてみろってな・・・買ってくれたんだよ」
コチサ
「・・・」
おじいちゃん
「走りすぎかな・・・相変わらず、忘れたいことが多すぎてな」
コチサ
「おじいちゃん、コチサもね。1000円で買った自転車持ってるんだ。明日は、ゆっくりツーリングしようよ」
おじいちゃん
「ツーリング?なんだそれ?」
こうして、2001年6月某日、「コチサ・ツーリングクラブ」が平均年齢52.5歳で発足したのでした。
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