No.97 2001.6.1
玄米が無くなったので、実家に電話。
コチサ
「すんません、玄米を補充したいのですが・・・」
お父さん
「また、玄米か、わかった、すぐ送る、じゃぁな」
コチサ
「ま、待って、そんなにすぐに切らなくても。たまには少し話でも・・・」
お父さん
「そうかぁ、じゃぁ折り返しかけるか」
コチサ
「大丈夫だよ、すぐ切るし、月に一回くらいの電話ならそんなにお金かからないから払えるよ」
東京に出て来たばっかりの頃、実家との連絡はもっぱら手紙でした。
そして何年か働いて電話を引いて、実家と話す時は、最初にコチサがかけてすぐに折返しの電話をもらう事をしていました。
コチサ
「時にお父さん、小泉内閣、高支持率ですなぁー」
お父さん
「出たな、また。お前は政治の話をすれば賢くなった気がするんやろ。母さんが言っとったぞ」
コチサ
「・・・時にお父さん、横綱貴の花関の優勝いかがでしたか?」
お父さん
「あぁそうらしいな。最近はあんまりテレビを見んのじゃ」
コチサ
「なんで?」
お父さん
「別に理由はあらへんけど、人間だんだん習慣が変わってくるもんじゃ」
コチサ
「じゃぁ今はどんな習慣なの?」
お父さん
「朝早う起きて、田んぼに行って、帰ってきたら風呂に入って寝る、それだけじゃ。どや健康的やろ」
コチサ
「なんか修業僧みたい、つまんないじゃない。お父さんの好きなお酒飲みながらナイター見るんは絶好の季節なのに・・・」
お父さん
「時々は見るで、気が向いたらな。無理はせんのじゃ。自由にしとるだけじゃ」
お父さんの、
「朝早う起きて、田んぼに行って、帰ってきたら風呂に入って寝る」
という習慣をコチサに例えると、
「朝早く起きて、仕事をして、運動をして、お風呂で疲れを癒して、早めに寝る」
という事になります。
素晴らしい生活と思いつつ、自分にムチを打ってそんな生活を続けてみますが、一週間と続きません。
習慣にしようしようと思いながらも、身につかないのがコチサです。
コチサ
「偉いねぇ、どうしたらそういう生活が身につくんだろ」
お父さん
「自然にしてたら良いんじゃ、体や心が勝手に居心地の良い習慣にしてくれる」
コチサ
「自然にしてたら、朝寝坊夜更かし、暴飲暴食になっちゃうよ。それを自制するのが人生修行なんだよ。でもなかなか難しくてね」
お父さん
「父さんも付き合いで遅くまで飲みに行ったりするが、その時の方が今日は特別だからなって思うちょるがな・・・自然にしてたら、朝は目が覚めるし夜は眠くなる、お腹がすいたら食べるし、いっぱいになったらやめる。当たり前のことじゃろ」
そっか・・・
じゃぁなんで、コチサはそういう自然な生活を目指すのに、一念発起したり、辛い朝を迎えたりしなくちゃならないんだろう?
お父さんの言葉だと、朝寝坊夜更かし、暴飲暴食の方が辛い生活だということになる。
お父さん
「まぁお父さんも、60年もこの山の中で畑や田んぼと共に暮してな、やっと大自然の声が聞こえるようになったんじゃろ。いくらそれが自然な事と感じても、心と体がそう感じなくちゃ、自然なことも自然に出来んようになる」
コチサ
「朝早く起きるのは自然なことなのに、それが辛いコチサは、心と体が自然な人生を受け入れていないって事?」
お父さん
「まぁそやろな。特にお前みたいな、煩悩の塊のような奴にはな」
コチサ
「すごいお父さん、なんか偉いお坊さんみたいな事言うね」
お父さん
「そやろ、見直したか?」
コチサ
「うん、お坊さんみたいになったのは、髪の毛だけじゃなかったんだね」
お父さん
「切るで(ガチャン)」
考えてみると、お父さんの言うとおりです。
「朝早く起きて、仕事をして、運動をして、お風呂で疲れを癒して、早めに寝る」
これが一番自然なことだから、一番無理をしないで楽に出来ることなのに、いつのまにか自分にムチ打たなくては出来ない辛いことになっています。
自然にしたら、一番自然な事が出来るはずなのに、
自然にしたら、一番自然じゃないことが出来て、
一番自然に出来ることをするには、自然じゃない努力と忍耐が必要なんて・・・
やっぱり変です。
何かおかしい。
子供はいくつになっても両親からは、教えられることばかりです。
でもその境地にたどり着くには、やっぱりお父さんくらい、「あったまテカテーカ」にならないと、「心ピカピーカ」にならないのかも知れません。
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